人の責任

“人間は、自分たちが放置されるとでも思っているのだろうか?”
(聖クルアーン)
 全能のアッラーは、他の生物とは異なり、「理性」と「意志」を与えることで人間を特別な存在にした。そして、人間に様々な能力を与え、自己の決断を実行する自由を与えたのである。そして、人間がその意志を真実と善のために使い、責任を自覚して自由な領域を使うことを望んだのである。とどのつまり、地上での生活は全て試練であり、無謀な行動や判断は試練の本質に反している。
責任とは、人々の人生を形作るものであり、目的のない人生から遠ざけるものである。責任感のある者は、人生には可能性や恵みだけでなく、義務もあることを知っている。彼らは、権利と同様に責任にも気を配る。自分の責任を果たすとき、彼らは幸せで穏やかな気持ちになるのだ。聖クルアーンには、アッラーは、理性を持ち、自分が果たすべき以上のことをしない人には責任を与えると記されている。アッラーは、自分のしもべを最もよく知っておられ、常に彼らのために最善を尽くして下さる。アッラーは、人々が偶然に犯した罪や忘れてしまった罪の責任を問われることはない。むしろ、心の中にある悪い考えを実行に移さない場合は、許して下さるのである。
アッラーに対する責任感を持って生きるということは、自分がアッラーから来て、アッラーに属し、最後にはアッラーに戻ることを知っているということである。また、全てを見られ、聞かれ、知っておられるアッラーは、常に彼らと共におられることを心に留めておくことである。そして、そのことを意識して人生を歩み、あらゆる行動をとることである。アッラーに対する人間の主な責任は、アッラーの存在と一体性を信じ、アッラーに同位者を認めず、奉仕者としての義務を果たすことである。アッラーとの関係は、人との関係にも反映される。従って、我々に対するアッラーの権利には、礼拝から誰もが関わる社会的な問題までもが含まれている。
また、人間には、自分自身、家族、親戚、社会、自然に対する責任がある。イスラームでは、権利と責任を2つの物差しで考えている。人間が互いに権利を持つことは、当然ながら互いに責任を生む。権利を得ようとする者は、責任を負う義務がある。このような均衡がとれたときに、平和な個人が集まった力強い社会を築くことができるのである。

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