来世への信仰
「礼拝を行い、ザカートを捧げる者、彼らは来世において、信仰において確実である」13
かれらは礼拝の務めを守り,定めの喜捨をなし,堅く来世を信じる者である。
(聖クルアーン)
来世(アーヒラ)とは、この世が終わった後に訪れる永久の世界のことを指す。来世を信じることもまた、ムスリムの信仰の柱の一つである。アッラーを信じることと来世を信じることとは、分かち難く結びついている。なぜなら、来世を否定するということは、神がこの世をつかの間の試練として創造したことの否定に繋がるからだ。この世が終わりを迎えて最後の審判がやってきたとき、神により、死者・生者含めた全ての人間が裁かれる。神命が明らかとなり、善と悪、圧制者と圧制に苦しむ者は消え去り、人間は皆、自らの行いのつけを払うこととなる。
来世を信じることで、人間は自らの行いに対する責任感を得ることができる。天地の主たるアッラーは、人間に恵みをもたらし、大地と被造物を信託した。これは、人間が自然に責任を負うためである。この責任感は、ムスリムが社会や自然とかかわるうえで大きな影響を持つ。
人々は、来世を信じることで。神の目的に沿った生き方を選び、善を見据え正道を歩く意思を得る。また、恨みや嫉妬、憎しみなどの感情を抑え、赦し、慈悲、希望、忍耐などの心境を獲得することができる。また、人生において立ちふさがる様々な困難や試練を乗り越え、正義の実現を果たそうとする志を持つことができる。
来世を信じる者は常に死を想起し、信仰者としてふさわしい死に様を望む。なぜなら最も尊い投資は、永続する大地に、すなわち来世にあるからだ。
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